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2015.03.10 議員活動

外から学び、内から変える~無所属議員の12年間のトライ~

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 2015年2月4日、早稲田大学の井深大記念ホールは、北川正恭教授の最終講義と、北川先生が提唱され、けん引されてこられたマニフェストのネクストステージを拓こうという方たちで膨れ上がっていた。自分もその大きな学びの輪の中にいて、全国から駆けつけてこられた幾人もの方と再会の挨拶と近況を交わせていることに感謝の思いが湧いた。
 周回遅れのランナーでも、思いがあれば遅々としてでも前へ進むし、仲間を得てともに汗することで、ゆっくりゆっくり景色は変わる。
 私にとって日々の源泉は、外へ飛び出すことで得た情報、知識、そして何より「人」である。そのチカラをどうすれば自分たちのフィールドにフィットさせられるのかと考え、トライを重ねる。簡単にはうまくいかない。また外へ飛び出し、学び続けることで新たなチカラが湧いてくる。私自身のPDCAサイクルがそこにある。

議会の見える化へ~起点は市民

 2003年春、保育の質と子どもたちの人権をめぐる大きな問題が市内で起きたことをきっかけに飛び込んだ未知の世界・市議会。全くの無所属として先輩議員を持たない私は右も左も分からず、「これがルールだ」と言われたことを追いかけるだけで精いっぱいだった。しかし、「議会なのに議論をしない」ことに強烈な違和感を抱いたことは鮮明に覚えている。
 その後、桜並木の伐採、駅前再開発などをめぐって議会の働きに業を煮やした市民が中心となり、2008年2月9日、「議員と市民の対話のつどい」が開かれた。5会派から10名が出席。超党派で市民の前に居並んだ初めての場であった。2005年4月から始めたブログだが、その日のブログに「対話というには遠い2時間半でしたが、市民の厳しい目が注がれていることを十分に受け止め、議会だけなく市民の皆さんと一緒になって、まともな議会にしていくスタートの日にしたいと思っています」と私は記している。

カワズ、井を出て大海へ

 翌月、旧知だった川名ゆうじ武蔵野市議からお誘いを受け、「市民と議員の条例づくり交流会議2008年プレ企画」に参加する機会を得た。
 「市長と議会は、市民に見えるところで議論をしなくてはならない。市長の提案に自分の意向を入れ込めることが議員としての力量だと勘違いしている議員が多い」、「質疑の形を借りて個々の議員が執行部に陳情を繰り返して首長提案に賛否を表明するだけの議会から、自治体の政策や方針を議員同士が討論して議会としての総意をまとめることのできる議会へ。実現には議員同士の自由討論が不可欠」、「予算案や条例案を否決されるというのは、提案した側としては極めて残念だが、議会が機能している証しである」等々、講師を務められた福嶋浩彦元我孫子市長の言葉は、私の土台となっている。
 そしてこの日は、その後現在に至るまで多くの学びをいただいている廣瀬克哉法政大学教授に初めてお会いした日であり、議会を変えようという志を持って日々活動している議員が大勢いることを実感した日でもある。
 この後、近隣市の議員数名で三多摩議会改革フォーラムとして「議論する議会をつくる」(2008年7月)、「議会は住民が見えているか?住民は議会が見えているか?」(同年10月)を開催。多摩市議会で議会改革をけん引する安藤邦彦議員らに登壇していただくとともに、課題意識を同じくする議員がすぐ近くにいることに元気をもらった。同年11月には、まちだ中央公民館の市民企画講座「議会のトリセツ」に報告者として初めて呼んでいただいたが、岩永ひさか多摩市議の報告と己のそれとの落差にがく然。大いに恥をかきながらも、「議会改革は市民とともにある」ことを確信。
 この頃は、学びに出るたびに大いなる知恵と勇気をもらうのだが、我に返っては途方に暮れる、という繰り返しであった。愚痴とできない言い訳ばかりが頭に浮かび、自分の中にひたすら宿題が積もっていった。

「2:6:2理論」と事務局の重要性
~会津若松市議会から学んだこと

 2009年1月の研修会で会津若松市議会の目黒章三郎さんに初めてお会いし、議会発で市民との意見交換会を複数の施設へ出向いて行っていると聞き、翌2月8日の朝には会津若松市の城西コミュニティセンターで行われた市民との意見交換会へ向かった。式次第には、①12月議会報告、②水道事業民間委託について、③議員活動とそのあり方について、④その他、とあった。
 その日のブログには「東村山では再開発事業しかり、公民館の有料化しかり、学校給食の民間委託化しかり…。政策形成段階から行政が市民に広く意見を求めたケースは皆無といってよい歴史が続いてきました。ましてや、議会がその意思決定をするために市民のもとへ出向き、意見に耳を傾けるなどということは想定さえされてきませんでした。時代は大きく変わりました」と書き記している。
 出迎えてくださった議会事務局の井島慎一さんとは、(大学が同窓であったこともあり)初対面にもかかわらず日付が替わるまで飲んで語った。「基本条例の制定も大変ですけれど、制定後1年目のサイクルを回すことが最も大事で大変です」という言葉は、まさに今年度の私を支えてくれた。
 そしてこのとき、目黒さんの「2:6:2理論」に出合った。「先頭を切る2を一緒にやろうという仲間を見つけること。次に真ん中の6をどう巻き込めるか。自分だけ頑張っている気になっていてもどうにもならないよ」という教えは、その後の私の基本姿勢と行動を大きく変えてくれた。井島さんの類いまれなる理論と実践は、議会の改良には主体的な事務局職員とチームとしての事務局の存在が不可欠であり、議員と事務局が切磋琢磨しながら取り組むことの重要性を脳裏に刻み込んでくれた。会議室で説明を受けるのではなく、議会が住民と向き合う最前線に伺ったことで得るものは本当に大きかった。

「変えよう!議会・東村山」始動

 2009年5月、ある会派が解散し、私を含めて3名のひとり者が生まれた。
 東村山市議会では長年、3名以上でなければ代表者会議も議会運営委員会も関わることができなかったので、千載一遇の機会と捉え、会派名「変えよう!議会・東村山」として届け出た。「スローガンみたいでおかしい。○○の会といった名称にすべき」、「我々が変えるべきは行政であり、議会を変えるという意味自体が不明」等と意見もされたが、笑顔で押し切ってスタート。私自身7年目にして初めて交渉会派の代表となり、常任委員長も経験した。
 協議の場では、それまでためてきたアイデアや思いを機会あるごとに提起。賛成vs反対だけでない選択肢が議論でき、別の結論や合意を得られることも少しずつ増えていった。しかし、それは議会運営上の問題や請願の扱い等であり、議案の修正まで持っていくことはできなかった。
 この時期、柔軟で懐の深い正副議長に恵まれたこともあって、議会改革への機運が醸成され、秋には議会運営委員会として会津若松市議会への視察がかない、目黒節を委員全員で拝聴する機会に恵まれた。
 当時、私は大きな一歩と捉えたのだが、昨春ある研修会で再会した目黒章三郎会津若松市議は、「数々の議会の視察を受けてきましたが、党派・会派間の隔たりや言い訳ばかり口にするのを聞いて、この市議会はダメだと思いました」と全員の前でご紹介くださった。「そんな東村山でもこれだけ大きく変わってきたのだから、どこの議会も諦めずに頑張っていただきたい」と続いた言葉には胸が熱くなった。
 改選直前の2011年2月、廣瀬克哉先生に講師をお願いし、「議会改革で市民生活はよくなる!?」と題し、市民とともに学ぶ講演会を開催。議会初の試みに、約150名の参加者で会場は埋まった。周知に当たっては超党派で駅頭に立ち、「私たちは東村山市議会です。ぜひご参加を」と代わる代わるにマイクを握った。最初はぎこちなく、呉越同舟の様子に通りがかった市民からは驚きの声も聞かれたが、「市民の前で一緒にやる」ことへの第一歩。議長の提案で「市民に開かれた市議会へ」ののぼり旗も急きょつくり上げた。歯車がかんで音を立ててゆっくり回り始めたことを感じた。

「形から入る」のも悪くない

 この年の選挙直後、前期議長の申送りを受ける形で、「議会基本条例制定を進める特別委員会」を立ち上げた。条例制定が前提なのはおかしいという意見もあったが、そう掲げなければ、「研究調査」した結果、「改革推進」を謳って終了、ということになりかねないと思った。
 結果、石橋光明委員長の下で2年半、会議だけでも計40回、延べ110時間以上にわたり、そのほかに市民アンケートや条例案作成、市民説明会やパブリックコメント集計等々、徹底的に議員間で議論と作業を重ね、2013年12月議会最終日に(当初から反対し続けた2名を除く)賛成多数で可決した。
 条例案策定に当たっては、各会派から提案のあった37項目をベースに、多摩市議会、所沢市議会、会津若松市議会等々、先進議会の条例とも首っ引きになって協議を重ねた。島状にしたテーブルを囲みホワイトボードを持ち込んでの議論は初めてだったが、形式を変えることで展開にも変化が生まれた。
 「TTP」をご存じだろうか。「(良いものは)徹底的にパクる」の略だそうだが、まねだけで終わってしまってはいけないが、まねから入って、後から実質を備えていくというアプローチは大いにありだと思う。
議会基本条例ワーキンググループ議会基本条例ワーキンググループ

条例で「不断の改革」を謳った責任

 2014年4月の議会基本条例施行に基づき、定例議会後に市内全世帯に議会だよりが配布されたタイミングで、平日の夜と休日の昼間という2回をセットに、議会報告会を5月、8月、11月と継続してきた。2015年に入って、2月は6日㈮と7日㈯に開催し、両日で約70名が参加してくださった。
 大きな会場で全議員出席の下、前半は直近の議会報告と質疑応答を、後半1時間は特にテーマを設けずに質問や意見を受ける。とにかく市民の前へみんなで出て継続しながら考えていこう、いただいた声を基に2年目以降の改善につなげよう、と進めてきた。毎回振り返りの会議を行い、結果は市議会ホームページで公開している。
 市民からは、議会として新たな場を設けたことを評価いただいたが、説明員となった私たちは、追及する立場からされる側に回ったときの自分たちのもろさを痛感させられた。伝えているつもりでも伝わっていなければ意味がない、ということも思い知らされた。説明責任を果たすことは容易ではない。

筆者が司会を務めた第1回議会報告会(2014年5月)筆者が司会を務めた第1回議会報告会(2014年5月)

 この4年間は、議論しては走り、走っては議論し、の繰り返しであった。ほとんどの議員が党派・会派の垣根を越えて、東村山市議会という機関を改善・改良するという目標を議会事務局職員とも共有して歩んできた。
 そのひとつの到達点として、直近の日経グローカル「議会改革度ランキング」で前回419位から36位へ、早稲田大学マニフェスト研究所「議会改革度調査2013」では473位から52位とジャンプアップの評価をいただいた。このことは、議員にとっても議会事務局にとっても大きな励みとなり、新たな意欲喚起へとつながっている。
 現在のところ、報告会開催以外にも、傍聴者の住所・氏名記載の廃止や傍聴席での録音録画の自由化、請願・陳情者の意見陳述の公式化、ライブ配信の全委員会への拡大等々、情報公開、住民参加という面では目に見える形で改善を図ってきた。その後も2014年12月には議会報編集委員会を広報広聴委員会に衣替えし、政策提案の装置として政策研究会の規定も合意をみた。一方で、議決事項の追加や政策提案といった機能強化面では未着手の課題が多い。
 いずれにしても、「開いた」、「続けた」、「見せた」、「伝えた」、「聴いた」といったアウトプットの段階である。本当に大事なのは、それによって「市民生活がどう変わったのか」、「何が良くなったのか」というアウトカム。次の4年はそこを問い続け、改良を重ねなければならない。

政治を、選挙を自分ゴトへ
~目指すはオープンガバメント

 最後に、2015年2月8日に参加した「選挙アイデアソン~マニフェストスイッチプロジェクト〜」(早稲田大学マニフェスト研究所)に触れて終わりたい。
 このプロジェクトは、マニフェストのオープンデータ化によって、普段から有権者が政治に関心を持てるように、政策の中身で候補者を選んで投票に行く仕組みを、と開催された。どうすれば選挙が変わるか、政治が変わるか、そのためにはどんなアプリケーションがあればよいのか、必要となるデータ項目とは何か。20名強の参加者のうち地方議員は2名で、選挙管理委員会職員、シンクタンクや情報通信、映像、シチズンシップ教育等に携わる様々な専門家が多く、20代、30代が半分ほどを占めていた。私などには想像もつかないアイデアが次々と飛び出し、しかも絵空事に終わらせない可能性を十分に感じさせてくれるワークショップとなった。変革は、私の想像など軽々と超えて突然やってくるのだ、と感じた。

 東村山市もご多分に漏れず3年半前をピークに人口微減に転じており、市長も議員もおいしい話ばかりできる状況にないことは明らかである。私たち議員は、多様な民意を踏まえて課題を提起し、根拠となるデータや論理もしっかり示した上で、対話の中から解決策を紡ぎ出していく力が不可欠となっている。市民とより近い距離で向き合い、市民同士の利害調整のためのファシリテーション能力の向上も必須であると感じる。
 私自身の最大の敵は、どこかの政党でも会派でも市長でもなく、"無関心"である。諦めることなく、外に学び、内に生かし、これからも様々な場づくりを続けていきたい。

議会のプロファイル

議会名 東村山市議会(東京都)
定 数 25人(平均年齢:56.5歳、男女比17:7 ※欠員1)
会 期 定例会:年4回(3月、6月、9月、12月)
過去に子ども議会、土曜議会を開催
人 口 2010年国勢調査 153,557人(伸び率6.0%)
産業構造 2010年国勢調査
1次産業 563人
2次産業 10,998人
3次産業 47,342人
標準財政規模 2014年度当初予算 501億771万9,000円
連絡先
※議会事務局の住所
〒189-8501 東京都東村山市本町1丁目2番地3
電話:042-393-5111
FAX:042-397-9436
メール:gikai@m01.city.higashimurayama.tokyo.jp
HP:http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/gikai/index.html

佐藤真和

この記事の著者

佐藤真和

東村山市議会議員 1963年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野外教育、保育等、子どもの現場に勤務後、2003年から現職、3期目。NPO法人多摩住民自治研究所理事、市民と議員の条例づくり交流会議運営委員、自治体学会会員、「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク会員、ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟会員。

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